2020-02-24
京都・新撰組にゆかりのある壬生村や幕末を感じる京都を散策!
TRAVEL旅行記
幕末から明治維新にかけて様々な事件や政治の変化に激動の地となった京都。幕末最後まで幕府軍として戦った熱き志を持った新撰組隊士たちの足跡を京都で辿っていきたいと思います。
新撰組とは?
新選組(しんせんぐみ)は、幕末に活躍した幕府直属の警察のような仕事をした組織です。
文久二年(1862)に庄内藩郷士・清河八郎の提案により、京に上洛する十四代徳川家茂の警護の為に集めた浪士隊を前身としています。翌年に上洛した「浪士組」は結果分裂し、京都に残った近藤勇、土方歳三を中心とする試衛館派と、芹沢鴨を中心とする水戸派は京都守護職松平容保のお預かりとする形で不逞浪士の取り締まりと市中警備を任される「壬生浪士組」(精忠浪士組)を結成しました。
1863年におこった「八月十八日の政変」での働きが認められて、名前を「壬生浪士組」から「新撰組」へ変更。
彼らを一躍有名にしたのが「池田屋事件」です。
鳥羽・伏見の戦いに敗北した後、甲州において新政府軍に敗れて解隊!
新選組屯所跡・壬生郷士八木邸
八木家を宿所としていた芹澤鴨、新見錦、平山五郎、平間重助、野口健司ら水戸派、近藤勇、土方歳三、沖田総司、山南敬助、原田佐之助、藤堂平助、井上源三郎、永倉新八ら試衛館派の13名は浪士隊から分かれて京に残り、八木家右門柱に、「松平肥後守御領新撰組宿」という新しい表札を掲げ新撰組の母体となる組織を結成したのです。
新撰組三大内部抗争の一つ芹澤鴨暗殺の場でもあり、文久3年9月雨が降る深夜に芹澤鴨、平山五郎ら4人が斬殺されました。
京都鶴屋 鶴壽庵(きょうとつるや かくじゅあん)
新撰組発祥の地、八木家の住居にある老舗和菓子店。
店のスグ横には新選組壬生屯所旧跡があり、見学料は抹茶、屯所餅付きで1000円!
- 住所:京都府京都市中京区四条坊城通南入ル壬生梛ノ宮町24 新選組屯所旧跡
- 電話番号:075-841-0751
- 営業時間:[月~土] 8:00~19:00 [日・祭] 8:00~18:00
- 定休日:無休
- 関連サイト:http://www.kyototsuruya.co.jp/index.html
旧前川邸
隊士が増えてきたため、八木邸が手狭になったことからこの場所も屯所にしたという。
池田屋事件の端緒となった古高俊太郎への拷問が前川邸の土蔵で行われたのも有名な話です。
そして1865年2月23日、総長・山南敬助が恋人・明里と格子戸越しに最期の別れを交わした後、坊城通に面した一室で切腹したのもここ旧前川邸。
壬生寺
京都市中京区壬生にある律宗大本山の寺院。
壬生寺の境内には、新選組の兵法調練場が設けられ隊士の兵法、大砲、武芸などの訓練が行われたといいます。
新選組のカラーと誠の文字、隊士の家紋が描かれた御朱印帳も販売していました!
池田屋事件の跡地
尊皇攘夷派浪士たちが新選組に襲撃された池田屋騒動の跡地。
池田屋の2階に集結していた浪士たちは約30名。これに対し、新選組は、近藤勇・沖田総司・永倉新八・藤堂平助の4名のみで斬り込んだといいます。
池田屋 はなの舞
現在は、居酒屋「池田屋 はなの舞」になっています。
幕末の旅籠である池田屋を彷彿とさせる店内です。
いたるところに新撰組隊士の絵が飾られています。
土方歳三ランチ
沖田総司ランチ